最初にやったことは、技術の各部門、すなわちボディ設計、内装設計、シヤシ−設計、エンジン設計、電気技術部からそれぞれ一名ずつ人を出させることだった。
いずれも課長クラスで、いままでの持場を離れて専任というかたちにし、事務方の人聞を二名つけて、いよいよ突撃隊は発進したのだった。
「Vどというのは、本質的にもやら叩きですね。
ともかく今見えている拙いところを摘出して直させるということです。
しかし、チームが目指している目標は、オプティマム・エンジニアリング(最適設計)を実現させることにあったので、OPどNということをキーワードにして、『チ−ム・オープン』と名付け・手品した。
こうしたスローガンも私が考えたものです。
他のメーカーのクルマをパラして、見習うべきところをチェックしたり、どういった方式が採られているか?を見つけることもやりました。
スローガンはオープンに引っかけて『オープンアイ』『オープンマインド』『オープンドア』といったものにしたんです」オープンアイとは、ともかく現状をしっかりと目を見開いて見ること、オープンマインドとは、既成概念から脱却すること、そしてオープンドアというのは、組織の墜に穴を開けてドアに見立てて、それを聞いて行こう、ということだった。
まず随より始めよ、というわけで、Kがそのとき担当していたコロナ・プレミオの開発ては、プレス用の金型製作を試作型なしで、図面から直接生産用の型を起こす『一発本型』方式に切り換えた。
それまでは、図面が出来上がると、ともかく試作型をつくって試住阜の部口聞をプレスしていた。
試作型から出来たパ−ツによって組み上げたものは、当然ながらいろいろのところで、商品にはならない欠陥が発見される。
それを手直しして、量産用の型をつくるわけだが、これでは二度手間になる。
それに試作型といえども、量産用の型代金の七O%くらいの費用がかかる。
数多い部品について、みな試作刑子ぞつくるとなると膨大なコストと時聞が掛かっていた。
図面から直接、生産型を起こすことができないか?Kはそれは充分に可能だ、と考えたのだった。
「これは最初に描く図面の精度をしっかりさせればできることなんです。
ところが、これまでのやりかたですと、試作型なんだからあとで直せる、という気持ちがあるものですから、図面の精度がおざなりになっていました。
直しを繰り返すのが当然のこととして認められていたというか、そうやるものだという観念でやっていたわけでした」この運動が始まる以前から、もうひとつ『マルアイ活動』と呼ばれるVど活動が進行していた。
これはI日副社長を委員長とするもので、自動車の構成部分四二品目に関して画期的なVどを行おうというものであり、バブルが崩壊して間もなく提案されたものであった。
この運動とVど突撃隊活動とは並行して行われた時期があった。
ともかく開発には金が掛かるその最大の原因は期聞が長くなるためである。
試作費用もさることながら、期間とは人件費そのものであり、もっとも切り詰めにくい要素でもある。
これを切り詰めるには、開発に要していた期聞を短縮すればいい。
この当然ともいえる課題に対して、Kは、各設計部門におけるイニシャルの図面、いわゆる試作図をそのまま量産に使えるだけのものに仕上げることに着目したのだった。
チーム・オープンが発足する以前においても、そうした努力がなかったわけではない。
ところが、ひとつの開発プロジェクトが終了してしまうと、ホッとするのか、すっかりそのことが忘れられ、つぎの開発に掛かったときには、もとの木阿捕になるのが通例であった「調べてみますと、開発におけるエラーの七、八割は、リピートのエラーなんですね。
ちっとも過去の苦心がつぎの開発に生きていなかった。
それの繰り返しをやっていたのでは進歩はありません。
時間の短織であれ、図面精度の向上であれ、せっかく積み上げた知識やノウハウをじっくりと蓄積しておいて、つぎのプロジェクトではそれをフルに使うようにすべきなんです。
データベースですね。
わたしは『技術の棚づくり』と言っていましたが、これが、できれば以後の開発に生きてくるということを力説してきました」二年間で、Vど突撃隊すなわちチ−ム・オープンは解散し、つぎの『BR−VF』になっていったわけだが、解散したあとてもその効果が残るような仕組みをKたちのチームはつくり上げたのであった。
コロナ・プレ・ミオがリリースされた直後の一九九六年一月、彼はT自動車を去り、新しいリーダーには、センチュリーと、後に発表されることになる「プログレ」の開発を担当しているチ−フエンジニアのNが就任している。
KはT自動織機側に移って以後も、T自動車・から委託された開発業務の責任者として、このプリウスのボディ設計にも関わりを持つことになった。
奇しき縁というべきだろうか。
先にも触れたが、プリウスの開発では開発手法そのものも、今後のTを担うものにする、という動きが実現したのは、Kたちの努力が影響を与えたといっていいのではあるまいか。
プリウスの開発チ−ムの話に戻ろう。
新しいことづくめ、問題山積という中で、Uたちは早速スケッチを描き始めた。
ザインの特色で、これが最後まで生これはもっとも初期のものである。
かされることになる。
それは、ハイブリッドエンジンT本社デザイン部の作品はが特殊なものではなく、だれに比較的おとなしいイメージをたでも受け入れやすいものにしていた。
い、という意味もあった。
かなりウエッジを利かせたレンダリング。
これは習作の段階といえるだろう。
中間審査に登場したとき4つの案が示された。
そのうちのひとつ。
これはCA−TYのもので、採用された案の原形になった。
フロントはグリルレスだが、独特のヘッドランプの形は注目を浴び、新鮮さが評価されたようだ。
CA−TY案の対抗馬となった本社の案。
三角形のランプで個性を主張しているが、フラットなサイドの菌はやや平凡。
中間審査で残ったCA−TY案は、本社デザイン部門に移されて、設計部門との調整を進めながらリファインされて行った。
たちにとって嬉しいこともあった。
「ハイブリッドシステムにしても、新しい開発手法の構築にしても、非常に難しいテーマであることは事実ですが、担当者として嬉しかったことは、プリウス計画に関しては社内の製品企画のなかで、トッププライオリティ(最優先順位)が与えられたことでした。
試作や実験を行う際に、他のモデルを待たせておいて、プリウスのほうを先にやることができました。
ひとつ例外として、コロナ・プレミオに新開発の直噴エンジンを積んだ『D14』だけが違っていましたが」『D14』も、T・エコプロジェクトの一環であり、発表・発売の時期がプリウスよりかなり早かったので、これはやむを得ないことだったようだ。
初期の『Gn』のころから参画してきた、第二開発センターの製品企画・相当員(係長職)を務めるIはこんなことをいっている。
「最初のうちは、勉強会のようなものでしたが、九五年夏ごろにボディやサスペンションの大要が決まると、年来はとても滑らかに進みました。
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